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データから導き出した「幸せな組織」のつくり方 ─『トリニティ組織』矢野和男氏に聞く、「三角形」が人と組織を強くする理由

矢野和男 インタビュー /  株式会社日立製作所 フェロー 株式会社ハピネスプラネット CEO

Interview : 

2026/5/18

同じ業界、同じような商品、同じような人材で構成されているにもかかわらず、なぜ活気のある組織と疲弊する組織が生まれるのでしょうか?

ニットの世界では、一本の糸だけでは生地になりません。糸と糸が編み目としてつながり合うことで、しなやかで強い生地が生まれます。糸と糸の「関係性」が生み出す、柔軟で、強く、変化に適応できる構造です。これは、実は組織や産業にも通じる話かもしれません。

私たちは組織を語るとき、つい個人の能力やリーダーシップに注目しがちです。しかし実際には、人は一人で成果を生み出しているわけではありません。人と人との関係性のあり方が、組織の活力や創造性、さらには働く人の幸福感にまで大きな影響を与えています。

こうした「人と人とのつながり」を20年以上にわたりデータで研究し続けてきたのが、株式会社ハピネスプラネット代表取締役CEOであり、『トリニティ組織』の著者である矢野和男氏です。

矢野氏は、累計10兆個を超える行動データを分析する中で、「幸せで生産性の高い組織」には共通する構造があることを発見しました。それが本書で語られている「三角形の関係性(トリニティ)」です。

本インタビューでは、『トリニティ組織』を手がかりに、なぜ人は孤立するのか、なぜ組織は活力を失うのか、そしてAI時代に求められる新しい組織のあり方についてお話を伺いました。

データから見えてきた「幸せな組織」の条件とは何か。人と人とのつながりが生み出す力について、矢野氏の知見から探っていきます。

第1章 
なぜ同じ会社でも幸せな職場と疲弊する職場が生まれるのか? データが示した組織の分岐点

Q. 先生は長年にわたり、人の幸福や組織の生産性を研究されています。そもそも、この研究はどのような問題意識から始まったのでしょうか?

矢野和男
矢野先生

私はこの20年以上、人の幸福や組織の生産性について研究してきました。 きっかけは非常にシンプルで、同じような仕事をしている組織なのに、なぜ成果に大きな差が生まれるのかという疑問でした。 例えば、同じマニュアルを使い、同じ商材を扱い、同じような商圏で活動しているコールセンターでも、片方は非常に業績が良く、もう片方はそうでもない。あるいは、リーダーが変わっただけで組織の雰囲気が大きく変わり、半年後の業績まで変わってしまうことがあります。

私たちは組織の成果を語るとき、つい「人の能力」に注目しがちです。しかし実際には、人は孤立して働いているわけではありません。人は常に誰かと関わり、影響を受け、協力しながら仕事をしています。 そこで私は、「人そのもの」ではなく、「人と人との関係性」に着目するべきではないかと考えました。

実は私は理論物理が専門です。 物理学では、物質の性質は原子そのものではなく、原子同士の結びつき方によって決まります。少し結合の仕方が変わるだけで、磁石になったり、金属になったり、まったく別の性質を持つ物質になります。 人間社会も同じではないか。 人を一つの原子と考えたとき、組織の性質を決めているのは個人の能力だけではなく、人と人とのつながり方なのではないか。 そう考えたのが、この研究の出発点でした。

そこで私たちは独自のウェアラブルセンサーを開発しました。 人の身体の動きには、言葉にならない感情や関係性が表れます。さらに、そのセンサーを使って「誰と誰が接触しているのか」「どのようなコミュニケーションが行われているのか」も同時に計測しました。 つまり、個人のデータだけではなく、人と人との関係性のデータを大量に取得したのです。 20年以上にわたり、さまざまな企業や組織で収集したデータは、累計で10兆個を超えます。 その膨大なデータを分析しながら、私はずっとある問いを追い続けていました。 「幸せで、生産性が高い組織には、共通する特徴があるのではないか」 私はそれを長い間、「ファクターX」と呼んでいました。

業界も文化も会社も違う。組織ごとに個性はあります。しかし、その違いを超えて、幸福度やエンゲージメント、生産性が高い組織には、驚くほど共通した特徴が見られたのです。 そして、そのファクターXこそが、本書でお伝えしている「トリニティ」、つまり三角形の関係性だったのです。 

第2章  
「V字型」と「三角形型」
データが示した幸せな組織の共通点

Q. 先生が長年探し続けていた「ファクターX」は、どのようにして見つかったのでしょうか。また、本書で語られている「V字型」と「三角形型」の関係性とは何を意味しているのでしょうか?

矢野和男
矢野先生

長年にわたってデータを分析する中で、私たちは幸福度や生産性の高い組織に共通する特徴を探してきました。当初は、コミュニケーション量が多い人ほど幸せなのではないか、友人が多い人ほど成果を出すのではないか、といった仮説も考えました。しかし、データはそれほど単純ではありませんでした。人と多く関わっていても孤立感を抱えている人はいますし、逆に限られた人間関係の中でも高い幸福感を持っている人もいます。

そこで見えてきたのは、「どれだけつながっているか」ではなく、「どのようにつながっているか」が重要だということでした。本書では、それをわかりやすく「V字型」と「三角形型」という形で説明しています。

例えば、私がAさんともBさんとも交流しているとします。しかしAさんとBさんはお互いにつながっていない。これはV字型です。一方で、AさんとBさんもお互いにつながり、交流している。すると三角形になります。私たちが収集した膨大なデータを分析すると、この違いが非常に大きいことが分かりました。自分の周囲の人間関係の中に三角形が多い人や組織ほど、幸福度やエンゲージメント、生産性の指標が高い傾向を示していたのです。

もちろん、それだけで全てが説明できるわけではありません。業界も文化も組織もそれぞれ異なります。しかし、そうした違いを超えて、三角形の関係性が多い組織ほど、高い幸福度やエンゲージメント、生産性を示す傾向が一貫して見られました。私は長年、この共通項を「ファクターX」と呼んでいました。そして大量のデータを分析する中で見えてきたのが、この三角形の関係性だったのです。

なぜV字型が増えるのかというと、私たちは複雑な仕事や組織を理解しようとすると、それを分解するからです。営業、企画、人事、経理。あるいは部長、課長、担当者というように役割を整理すると、物事は分かりやすくなります。しかし、その瞬間にV字型が生まれます。組織図そのものがV字型だからです。論理的に整理し、業務を分担することは必要です。しかし、それだけで組織を運営しようとすると、人は自分の担当範囲の中でしか動かなくなります。その結果、環境変化に対応する力が弱くなってしまうのです。

一方で三角形には、横のつながりがあります。相談できる人がいる。異なる立場の人と直接話せる。困ったときに助けを求められる。そうした関係性があることで、環境変化や新しい課題に対して柔軟に対応しやすくなります。

興味深いのは、この三角形が単なる人間関係の特徴ではないという点です。三角形のつながりが多い組織ほど、生産性やエンゲージメント、幸福度が高い傾向が見られました。成果を生み出しているのは個人の能力だけではなく、人と人との関係性そのものだったのです。

私はこれこそが、本来の健全な社会の姿だと考えています。つまり、私たちが長年探し続けていたファクターXとは、個人の能力や性格ではなく、人と人との間に形成される「三角形の関係性」だったのです。

第3章  
なぜ現代社会はV字型へ向かうのか?
SNSと合理性が生み出す孤立の構造

Q. 先生は本書の中で、現代社会そのものがV字型を増やしやすい構造になっていると指摘されています。なぜ私たちは放っておくと三角形ではなくV字型の関係性に向かってしまうのでしょうか?

矢野和男
矢野先生

実は、人間社会はもともと三角形を基盤とした構造を持っています。ネットワーク科学では「スモールワールドネットワーク」という考え方があります。世界中の誰とでも、知人の知人をたどればおおよそ6人程度でつながるという有名な研究がありますが、これは単純に全員が全員とつながっているからではありません。

実際には、小さなコミュニティやクラスターが無数に存在していて、その内部では三角形の関係がたくさん形成されています。地域コミュニティ、会社、学校、趣味の集まり、業界団体などがその典型です。そして、それらのコミュニティ同士を橋渡しする人がいることで、社会全体がつながっている。本来の人間社会はそういう構造でした。

ところが近年、その構造が大きく変化しています。象徴的なのがSNSです。SNSが登場した当初、多くの人は「人と人をつなげる素晴らしい仕組みになる」と期待しました。実際、初期のSNSはコミュニティのつながりを強化する役割を持っていました。その後の発展の中で、SNSは別の方向へ進みます。現在のSNSでは、フォローする人とフォローされる人が明確に分かれています。例えば、著名人やインフルエンサーに何百万人もの人がつながる。これは一見すると巨大なネットワークですが、構造として見ると巨大なV字型です。

実は、この現象を後押ししているのが、インターネットの検索やレコメンドの仕組みです。その代表例がGoogleの検索エンジンで使われた「ページランク」という考え方です。ページランクは、「多くの人からリンクされているページほど価値が高い」と判断するアルゴリズムです。さらに特徴的なのは、すでに多くの人から評価されているページからリンクされると、より高く評価されるという点です。

言い換えれば、

「たくさんつながっているものに、さらに人が集まる」

という仕組みです。

ネットワーク科学では、このような構造を「リッチ・ゲッツ・リッチャー(Rich Gets Richer)」と呼びます。持っている人がさらに多くを得る構造です。SNSのフォロワー構造も同じです。人気のある人ほどさらに注目され、フォロワーが増えます。その結果、一部の発信者に大量の人がぶら下がる巨大なV字型が生まれます。

私は、この仕組みそのものが悪いと言いたいわけではありません。検索エンジンもSNSも非常に便利な技術です。ただ、構造として見ると、人と人が横につながる三角形よりも、一方向につながるV字型を増やしやすい性質を持っているのです。

結果として、人と人との横のつながりよりも、一部の人に大量の人がぶら下がるV字型が増殖していきます。そして、そこでは人と人との比較が起こります。幸福研究では、人は他者との比較が強くなるほど幸福感を失いやすいことが分かっています。私は、人と比較しないことが幸せの大切な条件の一つだと思っています。

ところが現在のSNSは、その比較を非常に強く促す仕組みになっています。誰かの成功を見る。誰かの楽しそうな生活を見る。誰かが評価されている様子を見る。すると、「自分はまだ足りないのではないか」「もっと評価されなければならないのではないか」と感じてしまう。人は比較すると不幸になりやすい。SNSは便利で価値のある仕組みですが、一方で人と人との比較を促進する側面も持っています。私は、それが人を孤立へ向かわせる要因の一つだと考えています。

そして実は、このV字化はSNSだけの問題ではありません。企業組織も同じ方向へ進みやすいのです。私たちは複雑な仕事を理解しようとするとき、それを分解します。役割や責任を整理し、効率的に運営しようとするのです。すると、その瞬間にV字型が生まれます。組織図そのものがV字型だからです。論理的に整理することは必要です。業務を分担することも必要です。問題は、それだけで組織を運営しようとすることです。担当ごとに役割を分けることは、業務を効率的に進めるうえで欠かせません。ただ、その構造だけに頼ると、人は自分の担当範囲に意識が向き、組織全体で変化に向き合う力が弱まってしまいます。

しかし現実の社会や市場は、そんなふうに分解されて存在しているわけではありません。お客様の困りごとは部署をまたいでいます。社会の変化も担当範囲を超えてやってきます。だからこそ、本来は分けたものを再びつながなければならない。ところが私たちは合理性や効率性を追求するほど、無意識にV字型を増やしてしまうのです。

私は、これが現代社会の大きな課題だと思っています。SNSも組織も、放っておけばV字型に向かいます。だからこそ意識的に三角形をつくる必要がある。人と人が横につながり、対話し、互いを理解する関係を育てること。それが幸福と生産性を両立させるための土台になるのです。

第4章 
変化に強い組織は生まれるのか
三角形が組織に適応力をもたらす理由

Q. トリニティ組織の考え方は理解できました。しかし、多くの経営者にとって関心があるのは、「実際に自社でどう実装すればよいのか」という点です。三角形の関係性を組織の中に取り入れるために、経営者はまず何を意識すればよいのでしょうか?

矢野和男
矢野先生

まず大切なのは、三角形の考え方そのものを正しく理解することです。三角形というと、人間関係が良くて、仲が良くて、ゆるやかな組織をイメージされることがあります。しかし私が言っている三角形はそうではありません。

三角形とは、変化に適応できる組織の形です。人が言われたことだけをやるのではなく、自分で考え、自分で動き、自分の担当範囲を超えて価値を生み出していく。そのための関係性です。なぜそれが必要なのかというと、世の中から求められることは常に変化しているからです。お客様のニーズも変わります。市場環境も変わります。技術も変わります。AIの登場によって、その変化のスピードはさらに加速しています。

ところが多くの組織は、変化に対応しやすいように作られているわけではありません。むしろ複雑な仕事を分解し、担当を分け、管理しやすくすることで運営されています。こうした仕組みは必要です。複雑なものを整理し、日々の業務を安定して回すためには欠かせません。

しかし同時に、それはV字型を生み出します。担当を分けることで業務は効率化されますが、その構造だけでは変化に対応できません。現実の市場や社会は担当ごとに分かれて存在しているわけではないからです。お客様の課題は部署をまたぎ、環境変化も担当範囲を超えてやってきます。

そこで重要になるのが、サイバネティクスにおける「必要多様性の法則(Requisite Variety)」です。これはロス・アシュビーが提唱した考え方で、

「環境が複雑であればあるほど、組織の内部にも同程度の多様性が必要になる」

という法則です。

言い換えれば、外の世界が複雑に変化しているのに、組織の内部だけを単純化して対応しようとしても限界があるということです。環境変化を受け止めるだけの柔軟性や多様性が組織の中になければ、変化には適応できません。私は、この考え方がこれからの組織運営において非常に重要になると思っています。

三角形は、その多様性を生み出す仕組みでもあります。人と人が横につながり、部署を超えて情報が流れ、自律的に課題に向き合うことで、組織全体が変化に適応できるようになるのです。

だから私は、組織図やマニュアルを否定しているわけではありません。業務を分けることは必要です。しかし、分けたのであれば、今度はつなげなければならない。変化が起きたときに、「それは私の担当ではありません」ではなく、「みんなでどう対応するか」を考えられる状態を作ることが重要です。

そのためには、普段から人と人がつながっている必要があります。雑談やランチタイムの何気ない会話の中で信頼関係が生まれます。そうした関係があるからこそ、変化や問題が起きたときに自然と助け合えるようになるのです。

一方で、カジュアルなつながりだけでは十分ではありません。重要なのは、変化に向き合うこと自体を仕事として設計することです。新しい顧客ニーズへの対応。市場環境の変化への対応。部署をまたぐ課題解決。こうしたテーマに対して、複数の人が集まり、一緒に考える場を正式な仕事として用意する。私はこれが非常に重要だと思っています。カジュアルなつながりと、変化対応のための正式な場。

この両方が機能するとき、三角形は初めて組織の力になります。三角形は仲良しクラブをつくるためのものではありません。変化に適応し続ける組織をつくるための仕組みなのです。

第5章 
三角形をつくるのは人材か、組織文化か

Q. 人と人をつなぐのが上手な人はいます。実際にコミュニティの中心となって人を集めたり、新しい活動を生み出したりする人もいます。そう考えると、三角形をつくりやすい「トリニティ人材」のような人がいて、そうした人材を集めれば組織も変わるのでしょうか?

矢野和男
矢野先生

私はどちらかというと、人材論というより組織論だと思っています。もちろん、人と人をつなげるのが得意な人はいます。実際にそういう人が組織の中にいると、多くの人がつながるきっかけになります。ただ、そういう人がいることが本質ではありません。

例えば組織が、「無駄なコミュニケーションはやめよう」「自分の担当業務だけやっていればいい」という文化になっていたら、どんな人が入っても三角形は生まれません。逆に、人と人がつながり、挑戦することが歓迎される文化であれば、特別な才能を持った人がいなくても三角形は生まれます。ですから私は、まず組織文化の問題だと考えています。

また、三角形をつくる人を評価すればよいのかというと、実はそう単純でもありません。例えば「トリニティスコア」のようなものをつくって、「あの人は三角形づくりが上手い」と評価し始めると、今度はその評価を取ること自体が目的になってしまいます。それは新しいV字型を生む危険があります。

大切なのは、特定の誰かを評価することではなく、組織全体として三角形が生まれる状態をつくることです。そして、その原動力になるのが「挑戦」です。人は挑戦すると、自分の担当領域だけでは解決できない課題に出会います。すると自然に他者と協力するようになる。新しい知識を求めるようになる。結果として三角形が生まれていくのです。

実際に、こうした考え方を経営の中に取り入れている企業もあります。例えば丸井グループです。

丸井では、「フロー比率」を重要な指標として活用しています。自分の力を発揮しながら、より挑戦的なことに取り組めていると感じる社員がどれくらいいるのかを継続的に測定し、その結果を経営指標の一つとして開示しています。さらに、新しいことに手を挙げて挑戦した回数、いわば「打席に立った回数」そのものも重視しています。

ここで重要なのは、成功したか失敗したかではありません。どれだけ挑戦したかです。挑戦には不安も伴います。しかし、そうした挑戦を組織として後押しすることで、人は自分の担当領域を超えて行動するようになります。

三角形は、人を無理につなげようとして生まれるものではありません。挑戦する人たちが協力し合う中で、自然に生まれてくるものです。挑戦には楽しさもありますが、不安も伴います。だからこそ、人と人とのつながりが重要になるのです。

第6章 
組織を超えた三角形が産業を強くする

Q. ここまでのお話は主に企業組織の中の三角形についてでした。一方で、私たちのような業界団体や卸業、中間流通の役割を考えると、企業の外側にも三角形が必要なのではないかと感じます。組織を超えたつながりには、どのような意味があるのでしょうか?

矢野和男
矢野先生

私は、それも結局は個人の問題だと思っています。人は誰でも、自分が経験してきた範囲の中で物事を見ています。目の前でさまざまなことが起きていても、自分の知識や経験というフィルターを通してしか世界を見ることができません。心理学ではこれをフレーミングと言います。つまり、自分なりの枠組みの中で物事を理解しているということです。だからこそ、その枠組みを広げることが大切になります。

組織の中だけにいると、その組織の常識が当たり前になります。部署の常識。会社の常識。業界の常識。それが絶対だと思ってしまう。しかし実際には、外に出てみると全く違う見方をする人たちがいるわけです。よく、「転職して初めて前の会社の良さが分かった」とか、「海外に行って初めて日本の特徴が見えた」という話がありますよね。あれは、自分がいた場所を一段高い視点から見られるようになったからです。

私はこれをメタ認知やリフレーミングと呼んでいます。自分自身を客観的に見る力です。ただ、本を読んだだけでメタ認知が身につくかというと、そう簡単ではありません。やはり違う人と出会い、違う考え方に触れ、自分との違いを実感することが必要です。業界団体には大きな意味があります。普段の仕事だけをしていたら出会わない人と出会う。違う会社の考え方を知る。異なる立場の人と議論する。講演会や勉強会を通じて新しい視点に触れる。そうした経験が、自分の枠組みを広げていくのです。業界団体は、そうした機会を生み出す場なのです。

第7章 
生成AIの次に来るもの 創造AIフィーラが切り拓く新しい知性

Q.
 近年はChatGPTをはじめとする生成AIが急速に普及しています。先生は現在「フィーラ」というAIの開発にも取り組まれていますが、一般的な生成AIとは何が違うのでしょうか?

矢野和男
矢野先生

私たちはフィーラを「創造AI」と呼んでいます。実は今、AIは非常に大きな転換点を迎えています。生成AIによって自然な文章を作れるようになりましたが、次に重要になるのは「創造」だと私は考えています。ただ、その前にまず創造とは何かを考える必要があります。

私は長年、創造の研究を続けてきました。創造というと、多くの人は無から有を生み出すことをイメージします。しかし私はそうは考えていません。
経営学者ピーター・ドラッカーは、「企業の機能はイノベーションとマーケティングだけである」と述べています。私はこの言葉を非常に重要だと思っています。企業は新しい価値を生み出し、それを社会に届け続けなければなりません。その中心にあるのが創造です。

では、その創造とは何でしょうか。

経済学者ヨーゼフ・シュンペーターは、イノベーションを「新結合(New Combination)」と表現しました。既に存在している知識や技術や経験を、新しい形で結び付けることで、新たな価値が生まれる。私はこれが創造の本質だと思っています。ただし、単に二つのものを足せば創造になるわけではありません。既に知っているものを寄せ集めただけでは、新しい価値は生まれません。本当に創造的なアイデアというのは、既存の知識同士が結び付いた結果として、それまで存在しなかった新しい視点や意味が生まれることです。

実は近年のAI技術の進歩によって、こうした創造のプロセスを定量的に扱えるようになりました。現在のAIは、言葉や概念を数千次元のベクトル空間として表現しています。あるテーマと別のテーマがどれだけ近いのか。二つの概念を組み合わせたときに、どれだけ新しい意味が生まれるのか。そうしたことを数理的に計算できるようになったのです。

私たちは二十年以上にわたって創造の研究を続けてきました。その結果、創造そのものを測定し、定量化する技術を開発しました。フィーラーは、その研究成果を活用した創造AIです。

ここで重要なのは、生成AIとの違いです。

現在の生成AIは非常に優秀です。しかし本質的には、学習した膨大なデータの中から、次に来る確率の高い言葉を予測している仕組みです。自然な文章を作ることは得意ですが、基本的には過去の知識の延長線上にあります。実際、現在の生成AIのブレークスルーは、言葉の意味や文法を教え込んだからではありません。膨大な文章データの中から、次に来る単語を予測し続けるという方法によって実現されました。それによって、人間と自然に会話できるレベルに到達したのです。

これは極めて大きな技術革新でした。しかし、創造はそれだけでは生まれません。創造には、新しい意味を生成するための別の仕組みが必要です。そこで私たちは、生成AIの上に創造のためのエンジンを組み込みました。フィーラは、この考え方を取り入れながら、新しい意味や視点を生み出すことを支援しています。

私たちは現在、経営、人事、営業、投資など様々なテーマでベンチマークテストを行っています。その結果、創造性の評価において、フィーラは既存の生成AIを大きく上回り、偏差値にして約27ポイント高い結果を示しています。

私たちはこれを「第四世代AI」と呼んでいます。検索エンジンが第一世代。機械学習によるレコメンドが第二世代。生成AIが第三世代。そして創造AIが第四世代です。

生成AIが「自然な文章を作るAI」だとすれば、創造AIは「新しい意味やアイデアを生み出すAI」です。フィーラは、その創造を支援するために開発されたAIなのです。

※本書の巻末には、創造AI「フィーラ」が創出した架空の各分野のエキスパートによる鼎談が収録されています。経営や人事の視点から本書の内容を掘り下げる非常に興味深い内容です。ぜひ書籍でお読みください。

第8章
 
AIは会社をどう変えるのか
分業から自律へ、組織の大転換が始まる

Q. AIの進化によって、これからの組織や働き方はどのように変わっていくのでしょうか。

矢野和男
矢野先生

私はAIについて、一番重要なのは「どう使うか」ではなく、「何のために使うか」だと思っています。多くの人は、今の仕事の上にAIを追加して少し効率化できればよいと考えています。しかし本質はそこではありません。

私がAIのインパクトとして特に大きいと考えているのは二つあります。一つは創造です。そしてもう一つはソフトウェア開発です。創造については先ほどお話ししましたが、社会全体への影響という意味では、ソフトウェア開発の変化はさらに大きいかもしれません。

現在、AIはプログラムを書くことができます。そして、その能力は驚くべき速度で進化しています。私は日常的にAIを使いながらソフトウェアを開発していますが、以前とは比較にならない速度で開発ができるようになっています。大切なのは、もはや「どう作るか」ではなく、「何を作るか」が重要になるということです。実装そのものはAIが支援してくれる。そうなると人間に残るのは、何を実現したいのか、どんな価値を生み出したいのかという問いになります。私はこの変化が、組織そのものを大きく変えると考えています。

そもそも私たちが分業を行ってきた理由は、一人の人間が知り得る範囲に限界があったからです。営業担当。財務担当。研究開発担当。人事担当。それぞれが専門分野を深く学び、その成果を組み合わせることで組織は成り立っていました。しかしAIは、その前提を変えてしまいます。

AIは膨大な知識を持っています。人とAIが一つのチームとして機能するようになると、一人の人間が扱える知識や能力の範囲は劇的に広がります。すると、人間を狭い担当領域や専門部署の中に閉じ込めておく必要がなくなります。

最近では「一人ユニコーン」という言葉も出てきています。AIを活用することで、少人数あるいは個人でも、これまで大企業にしかできなかった規模の価値創造が可能になり始めているのです。

もちろん大規模な社会インフラや巨大プロジェクトでは、多くの人が協力する組織は必要です。しかし、その組織のあり方は大きく変わります。これまでのような階層的なV字型組織ではなく、よりフラットで、自律的な個人同士が有機的につながる組織へと移行していくはずです。

私は、人とAIが一体となった新しい個人が生まれると考えています。そして、その人たちが三角形で結び付きながら創造していく社会になると思っています。AIによって人間が不要になるわけではありません。むしろ逆です。AIを使いこなし、自律的に行動できる人は、これまで以上に大きな力を持つようになります。

一方で、従来の役割や分業の枠組みにとどまり続ける組織との間には、大きな差が生まれるでしょう。会社の中に、AIを活用しながら自律的に動く人たちが増え、その人たちが三角形でつながって協力する。私は、そのような組織がこれからの時代に大きな競争力を持つと考えています。今はまさに、知的創造とAIが融合する大きな転換点です。

これからの時代は、既存の組織を守ることそのものが目的になってしまうと、変化に取り残される可能性があります。だからこそ重要なのは、変化を受け入れ、自律的な個と個がつながる関係性を育てることです。

私はAI時代だからこそ、トリニティ、つまり三角形の関係性の価値はさらに高まると考えています。その意味でAIは、三角形の組織を加速させる技術だと言えるのです。そして私は、未来そのものについても同じように考えています。未来はどこかにあらかじめ決まっているものではありません。もし最初から全てが決まっているのであれば、それは運命論や宿命論になってしまいます。

私たちは日々選択し、新しい価値を生み出しながら未来を創っています。実は、この考え方は約100年前に完成した量子論とも深く関係しています。量子論の中心にあるのが、ヴェルナー・ハイゼンベルクが提唱した「不確定性原理*」です。そこでは、未来は一つに決まっているのではなく、常にさまざまな可能性が開かれていると考えます。

私は、創造も組織もAIも同じだと思っています。重要なのは、決められた未来を予測することではありません。新しい可能性を発見し、それを現実にしていくことです。だからこそ、人と人がつながり、人とAIが協力しながら、新しい未来を創り出していく。その営みが、これからますます重要になっていくのだと思います。

矢野先生のお話を通して印象的だったのは、組織の強さは個人の能力だけで決まるのではなく、「人と人との関係性」によって大きく左右されるという点でした。

私たちは効率化や合理化を進める中で、仕事を分解し、役割を細かく分けてきました。しかし、その結果として生まれるV字型の構造は、時として変化への対応力や人と人とのつながりを弱めてしまいます。

一方で、三角形の関係性は単なる仲の良さではありません。異なる立場の人同士がつながり、互いに学び合いながら変化に向き合うための仕組みです。そして、その考え方は企業の中だけでなく、業界団体や地域コミュニティにも当てはまるものだと感じました。

さらに興味深かったのは、AI時代になればなるほど、人間同士のつながりや創造性の価値が高まるという視点です。AIが知識や実装を支援する時代だからこそ、人が問いを立て、人と協力し、新しい可能性を生み出す力がより重要になるのかもしれません。

東京ニット卸商業組合もまた、企業の枠を超えて人と人が出会い、新しい視点や挑戦が生まれる「三角形の場」の一つです。本インタビューが、これからの組織や業界のあり方を考えるきっかけになれば幸いです。

トリニティ組織
矢野和男 著 / 草思社

「なぜ人は孤立するのか」「なぜ組織に活力の差が生まれるのか」。本書はその問いに対して、データサイエンスとネットワーク科学の視点から新たな答えを提示しています。組織運営に関わるすべての方におすすめしたい一冊です。

※ 必要多様性の法則(Requisite Variety)
ロス・アシュビー(1903–1972)
サイバネティクス(制御とコミュニケーションの科学)の先駆者。組織や生物が変化する環境に適応するためには、それに見合った多様性が必要であるとする「必要多様性の法則」を提唱した。この考え方は、現代の組織論やネットワーク科学、AI研究の基礎理論の一つとなっている。

必要多様性の法則はロス・アシュビーが提唱した法則で「環境が複雑であればあるほど、それに対応する組織やシステムの内部にも同程度の多様性が必要になる」という考え方。変化の激しい時代ほど、多様な視点や柔軟な対応力が重要になることを示している。

※ 不確定性原理
ヴェルナー・ハイゼンベルク(1901-1976)
ドイツの理論物理学者。量子力学の創始者の一人。1927年に発表した「不確定性原理」は、粒子の位置と運動量を同時に正確に測定できないことを示した。この発見は、「現在の状態を完全に知れば未来も完全に予測できる」という従来の決定論的な世界観を揺るがし、未来には本質的に複数の可能性が存在することを示唆した。現代物理学に大きな影響を与えた。

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